トップ絵無くってゴメンナサイ・・絵が下手なんです・・・

安賢洙

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1: 動物園φ ★ 2014/02/17(月) 12:01:45.30 ID:???
2014.2.17 11:45

ショートトラック男子1000メートルで優勝し、ロシア国旗を掲げるビクトル・
アン(右)と2位のウラジーミル・グリゴリエフ=ソチ(共同)

 【ソウル=名村隆寛】ソチ五輪男子ショートトラックで、韓国国籍からロシア
国籍に変えロシア代表として出場したビクトル・アン(安賢洙=アン・ヒョンス)が、
1000メートルで同国初の金メダルを、1500メートルでも銅メダルを獲得。
韓国では、同胞の活躍に祝福する一方、かつてのメダリストを“放出”して
しまったことへの後悔の念も広がっている。

 アンはトリノ五輪には韓国代表として出場し、金メダル3個、銅メダル1個を
取った。今回8年ぶりにメダルを獲得し、個人としては6個目のメダルとなった。
韓国男子ショートトラックは16日の時点で、メダルはゼロ。

 かつて韓国ショートトラックのエースだったアンは2006年の世界選手権直後、
韓国スケート連盟について「派閥の争いがひどく、選手に被害が及んでいる」と批判。
「ピークを過ぎた選手と判断され」(アンの父親)、その後の代表選考の際に同連盟と
対立し嫌気をさした韓国を11年に「脱出」するかたちで、ロシア国籍を取得した。

 韓国メディアによれば、アンはロシア紙コメルサントのインタビューで「韓国に
戻る計画はあるか」との質問に「分からないが、ロシアの方がいいと思っている」と
答えている。

 新天地のロシアであらためて英雄となったアンの活躍に、韓国は複雑だ。韓国紙、
朝鮮日報は「銅でも金でも、スタッフらが皆喜んでくれ、仲間の選手も皆祝福して
くれる。とても心地よい」と言うアンの言葉を紹介し、韓国スケート連盟の派閥
争いや、選手への配慮のあり方などを問題視している。

 朴槿恵大統領自身もアンをめぐる韓国国内での問題について「派閥主義、序列主義、
審判の不正など、スポーツ界の底流の不条理や構造的問題に伴うものではないか」と
述べ、自国のスポーツ選手の力量の芽を韓国の指導者自らが摘み取っている状況に
あることを指摘、関係機関や関係者に再考を促している。

http://sankei.jp.msn.com/sochi2014/news/140217/soc14021711480042-n2.htm

引用:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1392606105/
【【五輪】男子のメダルゼロの韓国、金メダリスト放出に後悔 パククネも苦言】の続きを読む

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1: 動物園φ ★ 2014/02/17(月) 13:08:21.93 ID:???
ロシア人「ビクトール・アン」誕生の真相
大韓スケート連盟の実力者が招いた派閥争い、実力は二の次

ロシア人「ビクトール・アン」誕生の真相

 ロシア代表「ビクトール・アン」こと安賢洙(アン・ヒョンス)=28=が15日、ソチ冬季五輪男子
ショートトラック1000メートルでロシアに史上初のショートトラック金メダルをもたらした。ロシア
国旗を振って喜びを表現する安賢洙に、韓国のファンたちはお祝いの言葉を贈る一方で、復活した
「ショートトラックの皇帝」がロシア代表のユニホームを着ていることにむなしさを感じた。朴槿恵
(パク・クンヘ)大統領は13日「安賢洙選手が韓国で夢をかなえられず、他国で選手として活動して
いる理由が何なのか、振り返って考えなければならない」と指摘した。「韓国人・安賢洙」が「ロシア人
ビクトール・アン」になるまでには一体、何があったのだろうか。

■「韓体大派」のエース・安賢洙

 安賢洙という名が韓国で初めて広く知れ渡ったのは、2002年のソルトレークシティー五輪だった。
同選手は当時、一種の「恩恵」を受けて五輪出場を果たした。1988年から2002年までショートトラック
韓国代表チームのコーチ・監督を務めた大韓スケート連盟のC副会長は、五輪を前にソウル新木高校
1年生だった安賢洙を代表に大抜てきした。当時ワールドカップ(W杯)1000メートルでランキング2位
だったミン・リョンと3位だったイ・スンジェを押しのけ、「ランキングにも入っていない選手」を
五輪に出場させたのだ。

 C副会長は02年に韓国代表監督を退き、韓国体育大学(韓体大)の教授として赴任した。1990年代に
C氏が率いた韓国ショートトラックは、3回の五輪で金メダル9個を生み出した。その秘訣(ひけつ)は
「エースを後押しすること」だった。チームのエースが優勝できるよう、同じレースに出ている代表
選手たちが相手の進路を妨げるなど、けん制役を忠実に果たすという戦略だ。

 C氏のまな弟子であった安賢洙は2004年に韓体大に入学した。そして03-05年の世界選手権で総合優勝
3連覇を果たし、韓国代表の「不動のエース」になった。しかし、その間に韓国ショートトラック界には
「韓体大派」と「非韓体大派」の派閥争いが発生、内部がむしばまれていった。

 「非韓体大派」の選手たちは韓体大出身のエース・安賢洙のためにレースで犠牲にならなければなら
ない状況に不満を抱えていた。05年1月のユニバーシアード大会では安賢洙が非韓体大出身の選手に暴行を
受けたこともある。

 同年4月には安賢洙を除く男子代表選手7人が「韓体大派」といわれるキム・ギフン・コーチの選任に
反対し、泰陵選手村入村を拒否した。3カ月後には安賢洙が「過去の選手暴行をほう助した」として「非韓
体大派」ユン・ジェミョン・コーチの選任に反対する記者会見を開いた。

 結局、大韓スケート連盟は選手たちがそれぞれ自分の希望するコーチに指導を受けられるようにした。
安賢洙は韓体大出身のパク・セウ・コーチの下で女子選手たちと練習し、女子選手のチン・ソンユとピョン・
チョンサは檀国大学出身のソン・ジェグン・コーチの担当する男子チームで指導を受けた。これらの派閥
争いと関連し「05年のW杯で、あるコーチが『他国にメダルをやることになってもいいから、韓国の別の
選手を勝たせるな」という指示を出した」と話す、ある選手のインタビューが明らかになった。
以下略

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/02/17/2014021701633.html

引用:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1392610101/
【【五輪】韓国ショートトラック金メダル量産の秘訣 エースが優勝できるよう同じレースに出ている選手が他国の進路を妨げる】の続きを読む

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